Sky's The Limit

怖いものはないから プライドさえも必要ないだろう?

青春はいつもM.A.D.

気づいたら、翼氏の1stツアー23to24から今年で10年らしいです。
時の流れは恐ろしい。
あの頃、「神!」と崇め奉っていた翼様の年をとっくに越え、中身は子どもな立派なアラサー。それはまさしく自分のこと。
歳を食うだけ食って、中身はガキンチョです。そういう性質なのです。タチが悪い。
話がズレましたが。本題に戻りましょう。
ずっと前から言ってること。「M.A.D.は自分の青春でした。」
あの、何代目かよく分からない、今の窓系列の原点、「M.A.D.」。
グループ名がついた時には、「使い回しか!」と思った10年前。
嵐のバックしか仕事がなかった。
デビュー直前まで行ったはずなのに、気づけば後ろにいた。
「Jr.の墓場」と言われた。
そんな子たちの集まりでした。
「嵐組」なんて、当時のファンの間では勝手に呼び名がついて、それがヲタク界隈で浸透していたあの頃。
グループ名がつくなんて、思ってもみなかった。
しかも、それが、形を変え、表記を変えてでも、10年経った今でも「MAD」として残っているなんて、誰が思っていただろう。

10年前の自分はとにかく必死でした。
「このツアーが終われば、次はないかもしれない。」
正直、そんな不安しかなかった。
だって、いつまでもいる保証なんて、どこにもなかったから。
いなくなってしまうことが怖かった。

最後に窓系列に会いに行ったのはいつだろう。
それすら、すぐに思い出せなくなりました。
最近は関西の現場が多くて。(直近は滝翼ですが。)
「最後の担当にしよう。」と決めた、武内とかいう現一級建築士が辞めてから、暫くは窓系列を見るのが辛くて、向き合えませんでした。
…あ、思い出した。最後に窓系列を見たのは、NEWSのチャンカパーナコンだ。
あの頃、ようやく、窓系列を見ても、平気になってたんだっけ。
とにかく、窓系列は青春でした。
武内がいなくなって、ぽっかり心に穴が空いてしまうほど。

今年のクリエで窓系列クリエ(語弊あり)があるって知って、久しぶりに「行きたい行きたい!」ってなったんです。
まぁ、倍率高すぎて行けなかったんですが。
一時は、モー娘。か?AKBか?と思うくらいに人数も多かったですが(20人越えとか何事。)、今、あの名前を受け継いでるのは2人。あとは派生したり、辞めていったり。

時々、ふぉ~ゆ~とかが、「俺たち、元は同じグループだったんですよ!」とか話してるのを聞くと(雑誌で見ると)、あの時代は彼らにとって、マイナスではなかったんだな、と思います。少しでもプラスだったんだろうな、と。
そして、きっと忘れてはいないんだろうな。あの時、あの瞬間、同じ目的を持って、同じ場所に立っていた、かつての仲間たちを。

革命を起こしたあの頃には、もう戻れないけど。
それでも、それぞれが、前を見て、それぞれの道を歩んでいるなら、青春の全てを彼らに注いだ自分もバカじゃなかったな、とつくづく思うのです。